清々しいアウトサイダー・アート展、なぜそんな気持ちに ?? 表参道で10月末まで。
この秋も外国人観光客で賑わう東京・表参道の商業施設「GYRE(ジャイル)」。
(表参道ヒルズの真向かい……より、もうちょっと原宿の交差点近くのところ ← 分かりにくい説明だっ)
モードの「メゾン マルジェラ」、ミュージアムショップの「MoMAデザインストア」、家具・インテリアの「HAY」が入ってて、アートの香りが漂うひとクセある施設です。
(ビズビムのスゴい店もありますね。コム デ ギャルソンも)。
ここにある、同じフロア内で移転して大きく広がったギャラリースペースが、「表参道 GYRE Gallery」。
2019年9月6日(金)〜10月27日(日)まで、入場無料のアート展覧会、
「現代アウトサイダーアート リアル」
展をやってます。
アウトサイダー・アート、そのルーツになったフランス語でアール・ブリュットとも。
要は “異端児” って解釈でよさそうですが、もともとはアカデミックな芸術教育を受けていない人たちの作品を表したようです。
あのパブロ・ピカソが影響を受けたアフリカ民族の仮面もそうですし、刑務所の囚人の絵画を指すときも。
ヘタウマで人気の画家、アンリ・ルソーも。
さらにはアール・ブリュットの言葉をつくって芸術運動した抽象画家のジャン・デビュッフェ自身も、技法を独学で身につけた人。
アウトサイダー・アートという言葉がアール・ブリュットより広義に用いられる中で、ここ日本では「障害者芸術」を指すのが一般的なようです。
精神に難があったり、知的障害があったり。
そう聞くと頭に浮かぶのは、画家の山下清ですよね。
ドラマのイメージが強いですけども。
いまに生きるそんな彼ら36人の作品を集めたのがこの展覧会です。
内容をご紹介する前に、すみません、ひとつだけ自分の学生時代の経験をお話させてください。
思い出と結びつけてモノを語る文章は好きじゃないんですけど(「あんたなんか知らん」、ってなりますからね)、ご参考になる方もいらっしゃるかと。
偏差値だの学歴だのといった “一般常識” を抱いたまま、中堅大学のフツーな学科を卒業した私はファッションを学ぶ専門学校に通い始めました。
入学当時の年齢は23歳、約40名のクラスメートの大半は18歳。
高校を卒業したての女子35名と男子4(+1)名の環境で毎日を過ごしました。
(男とばかりつるんでましたけど)
入学して驚いたのは、敬語を使えず担任にタメ口を聞く生徒、ヨレヨレの軍パンに泥だらけのコンバース姿の女子、目に余る言動の者たち。
「ファッション学校ってこんな !?」
と。
若い世代のストリートファッションが世間に広まる直前の時代でした。
そんな上から目線の私にほどなく、頭をガツンとやられる出来事がやってきます。
デザイン画の授業でした。
算数はできても数学は無理そうな、服装も清潔でない女子が、スケーター少年の絵を写真も参照せずにさらりと描きました。
それを見て、
「うわ……すげえ……」
クラス中が動揺する迫力の絵でした。
その子はバラバラになった色カードを色相順に並べるゲームみたいな授業でも、クラス1早く作業を終えました。
「勉強ができるだの、優等生だの、地位ある職業だの、そこにどんな意味が??
魅力的なモノこそが人の心を揺さぶり、つくった者は称賛と尊敬を集めるのだ」
そう思いました。
(権力とは別の話として)
通った2年間のあいだに既成概念がひっくり返っていく、ターニングポイントになりました。
「絵を描ける人ってすごい」、との思いも現在まで続く結果に。
(私は呆れるほど下手なんです)
……さて。
それではご覧いただきましょう、
「現代アウトサイダーアート リアル」です。
通路の展示も含め、4部屋に分かれています。
今回はオープニングレセプションにお招きいただき、作家のひとりの青年とそのお母さんと思われる女性にお会いできました。
その彼、加持英貴さんの作品をまずご紹介します。
左ききの加持さんは、右から描いていくそうです。
夏から秋への移り変わりが表されているらしく(ご家族の説明)。
彼にとって、夏=青、紫=秋。
それは納得、では黄色は?
「たぶん紅葉の色なんだと思います」
と。
「いつも紅葉を見に連れて行ってますから」
そして、
「この子にとって冬は赤なんです、なぜか」
加持さんは色鉛筆を並べ、そこから選んで紙をガッーと塗っていくそう。
「筆圧が強いんです(笑)」
短くした色鉛筆にこだわるのも彼のスタイルとのこと。
アイドル顔の爽やか青年でした(私の感覚では)。
ゆらゆらと身体をゆすり続け、無口でしたが目を見ると笑顔を返してくれました。
でも、あとでパンフレットを参照したら、「重度の自閉症」と説明されてまして。
そーなんですか !??
美術品は作品のみが独立して判断されるのが、おそらく理想なのでしょう。
障害があるかどうか、作家がどんな人かは本来無関係なはず。
でももしも、
フィンセント・ファン・ゴッホが耳を切り落としてなかったら、
サルバドール・ダリがおかしなヒゲを生やしてなかったら、
パブロ・ピカソがボーダーTシャツを着てなかったら(?)、
作品がこれほど世の中で有名になれたのか。
(アート好きの間での知名度でなく)
作者とその作品は切り離せそうにないですね。
当人たちがそれを望んでいるかは別として。
各作品には作家名やタイトルと一緒に、販売価格も書かれています。
作品が売られて、作家の生活が成り立つのは素晴らしい。
ですが、購入を前提に訪れる人以外は、価格は気にしないことをお薦めします。
(あくまで私個人の意見)
作品ごとに異なる価格を、
「だれが決めたのかな?」
と思っちゃいますし。
作家当人の意見(意思)が反映されてるとは考えにくいですし。
そもそも、価格はその作品の絶対評価ではないですし。
高価な世界三大珍味よりも、安くておいしい食べ物が山ほどあるのと同じこと。
普通にアート鑑賞で行く人は、
「これ好き、あれ好き」
でいいのでは?
続きまして、私が気になったほかの作品を数点ご覧くださいませ。
絵本の1場面のような絵。
広い景色が浮かんで、気持ちよかったですねー。
西下紘生さんの作品です。
このように驚くほど緻密に描かれているのがアウトサイダー・アートの多くに見られる特徴ですね。
顔を近づけて絵の端から描く人も多いようです。
作家はミルカさん。
笑顔の人がたくさんいる。
すごく濃密で一瞬、「怖い絵か??」と思いきやそうではなく。
画材はボールペンです。
箭内(やない)裕樹さんの絵。
★終わりに
見て回るあいだ、ずっと清々しい気分でした。
この居心地のよさは、現代アートに見られる嫌悪感をアオる露骨な表現や、作家の自己愛が作品から感じられなかったことが理由のひとつだと思います。
(私の感覚では)
美しさや楽しさばかりがアートじゃないのは、わかってるつもりですけども。
私が現代アートを “苦手” と感じるときって、上記の要素が強いことが多いです。
でも自分が苦しんでいるとき、同じ苦しみの作品を見たら救われることはあるかもしれませんね。
今回の展覧会は表参道でのショッピングの合間に訪れて、
「あら素敵」
って楽しんではいかが?
「自分にはこんな絵描けないな。スゴいな。どんな人が描いてるんだろ?」
って、ちょっと思ったり。
同じ感想を持ちそうな方(も、そうでない方も)、ぜひ足をお運びになってくださいませー。
photos © 高橋一史
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